ICU

ある日のこと・・・

目が覚めるとベッドの上だった。

頭のほうから電子音が聞こえる。

体にはたくさんの線がつながれて、体内にチューブが挿入されていた。

ぼんやりと妻の顔が見えた。

「ここ何処?」と尋ねると「病院だよ。大丈夫?」と涙目で心配そうな面持ちで答えてくれた。

「そうか・・・」とつぶやき再び眠りの中へ。

どれくらい時間が経ったのかわからないが再び目が覚めると隣のベッドから子どもの声が聞こえた。

「パパ頑張って!」

生死の境で懸命に闘っている父親に子どもが必死に声をかけている。

今までテレビの中でしか見たことのない「ICU(集中治療室)」に搬送されたときのことである。

周りには生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた人達。自分もついさっきまでその立場にあった。

今こうやって生きていることは本当にありがたいと感じる。

生きているというより、生かされたんだと思う。

「あなたは与えられた使命を全うしていない、やるべきことがたくさんあるのだから。まだまだ頑張りなさい」

そう神様がおっしゃったんだと思う。

人が死ぬということは全くもって自然なこと、時が来れば誰にでも平等に死は訪れる。時の長さに個人差はあるけれども、終わりは必ずやってくる。

怖いのは「死」そのものでないと感じる。天命を全うできないこと、自分のすべきことをやり残したまま、後悔や無念さを持って最期の時を迎えることが怖いのだと思う。やるべきことを済ませたならば天に召される瞬間はきっと幸福を感じることができるだろう。

意識のない間、ゴメンナサイと何度も繰り返し発していたのだという。

「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ・・・」

一体何に対して謝っていたのだろう。

妻を不安にさせたことだろうか。弱い自分に対する懺悔のためだろうか。神様にお願いだからもう少しだけ生きていたいと懇願していたのだろうか。

ゴメンナサイの理由は未だに解らずじまいだが、今日も生かされている。

将来を見据え、やりたいこと、やるべきこと、夢、目標、たくさんの想いを抱えて生きている。

最期の瞬間はゴメンナサイなんて言わずに感謝と喜びに満ちていたいと思う。

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心の保険を掛ける

長いこと入院生活を続けていると生命保険のありがたみがよくわかる。

学生時代にファイナンシャルプランナーという資格を取得し、一応生命保険の必要性は認識していたので結婚を機に終身タイプの生命保険に加入した。たまたま友人が保険の仕事をしていたので彼に依頼して設計書を作ってもらい多少気になる部分に変更を加えた後に契約した。毎月の掛け金は決して低くなく、かなり生活を圧迫するもので一時は解約を考えたこともあった。

ここ2年は本当に入退院の繰り返しで今年の正月には足首の靭帯を切るなど散々な目にあっている。けれども経済的な面においては生命保険があるおかげで特に困ることなくそれなりの生活をさせていただいてる。今更ながら、病院にかかる前にもう一本入っておけばよかったな~なんて思う。潰瘍性大腸炎を発症する前に入るか入らないかを悩んだのだが、もたもたしているうちに発症してしまい、以後は入れる保険は皆無に近い状況となってしまった。

生命保険は経済的保障が目的だが、生きていく上で様々な困難にぶつかり心が折れた時の為に「心の保険」を掛けておくといいと思う。

自分の心が折れてしまって誰かに支えてほしいとき、自分は一体どうしたらいいかわからないとき、酷く悲しいことがあって自分を保つことができないとき、自分自身の力だけでは乗り越えていけないなと思ったときの為の心の保険。

掛け方は簡単。もし、苦難が来たときのためにあらかじめ支えになるものを探してみるといい。妻や恋人、両親、祖父母、兄弟、友人、信頼できる上司、恩師、医者、心から共感できる音楽、お気に入りの場所、偉人の言葉、尊敬できる人の書いた本、趣味や活動・・・自分の好きなもの、お気に入りなもの、尊敬できるもの、どんなジャンルでもいいからできるだけ数多く。人間は居なくなったり裏切ることもあるだろうから、掛け方のバランスも考えたほうがいいかもしれない。もちろん掛け金も必要。お金を払って得るものもあれば、家族や恋人に代表される人間は、いつも自分からも愛情を注いでおかないといざというとき支えになんてなってくれないかもしれない。「求める前に与えよ」である。

こうやって予め困難にぶつかったときの保険を掛けておくと、きっと早く試練を乗り越えられると思う。困難に出会ったらすぐに「自分にはこういう支えがあるんだ」って頭に思い浮かべるだけで、受けるダメージや立ちあがるスピードも変わってくるだろう。事前に準備しておくのと、既にダメージを受けた状態で探すのでは大きな違いだと思う。

因みに自分は困難にぶつかったとき、信頼できる妻と、大好きなケツメイシの音楽と、経営の神様といわれた松下幸之助氏の格言と、「ガンに生かされて」の著者である飯島夏樹さんの書いた本と自分の生まれ育った故郷の大自然に支えを求めようと思っている。

妻をより大事に、音楽はコピーじゃなくてちゃんと買って、本も立ち読みじゃなく買って手元に置いて、いつまでも自然が残るように時にはゴミ拾いなんかにも参加して環境問題についてしっかり考えて、与え与えられる健全な共存関係を築いていきたいなと思う。

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義兄

Photo

義兄はとても尊敬できる人物の一人だ。いつも私に心得を授けてくれる。

子どもが好きな義兄は、病気で病院から出られない子ども達に少しでも自分の世界を広げてもらいたいと思い、色鉛筆で日本各地の風景を描いたカルタを作り病院に配っている。私も入院中にカルタから力をもらいたいと思い、お願いして一箱送ってもらった。色鉛筆の柔らかなタッチで色彩豊かにに描かれた風景からは彼の温かさが滲み出ているようで、壁にぶつかったときはカルタを眺めると心が癒され狭くなっている視野に気付かせてくれる。

素敵な人には素晴らしい人達が自然と集まっていくのだとしみじみ感じる。

このカルタは多くの人の寄付と好意によって作成することができたそうだ。カルタを入れる箱に困った義兄は北海道の「六花亭」というお菓子屋さんに電話をかけ、要らない菓子箱があれば譲ってほしいと言ったという。事情を聞いた六花亭は、「そういうことであれば不要な箱ではなく、カルタにぴったり合う箱を製作させてもらえませんか」と答えてくれたのだという。私利私欲にとらわれず、自分の中の余裕を少しでも社会に還元する。そういう気持ちはいつも心の中に留めておきたいものだなと思う。今は自分のこと家族のことでいっぱいいっぱいだが、少し余裕ができたら自分にできることを具体的に考えてみたい。

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病気という言葉

ちょうど2年半前、潰瘍性大腸炎という病気を患いました。

未だ発病の原因や完治させる方法が見つかってないいわゆる難病と言われる病気です。一説によれば白血球が正常に機能せず誤って自分の体を攻撃してしまうのだとか。

本格的に症状が現れると腹痛と下血を伴う下痢が1日30回程度、食事も取れずほぼ寝たきりに近い状態になってしまいます。

私の場合は、薬により症状を抑え込む治療がメインですが、薬だけでは炎症が改善されない場合は約2ヶ月間入院し、血液透析によって白血球の成分を除去するといった治療をおこないます。

こんな風に書いてしまうと、何やら大層な病気を患っていると思われるかもしれませんが、自分自身はそれほど気に留めていません。身体的に「しんどいな」と思うことはありますが精神的に辛いと思ったことは一度もありません。潰瘍性大腸炎を患ったおかげで得ることができた「気づき」の方が自分にとっては大きいからです。

健康でいられることの素晴らしさに気づけたことは勿論、「病気」という言葉について深く考えるきっかけを与えてもらいました。

今生活している中で「病気」という言葉はほとんど使わないようになりました。

「病気」という言葉にはマイナスの力しか宿ってないと感じたからです。今までは「俺、病気なんだよね」という風に何気に使っていましたが、マイナスの力しか宿ってない言葉は、自分自身の価値を下げてしまう効果があるのではないかと思います。自分を病人扱いしてしまうと、精神衛生上良くないなぁと(笑)自分は病気なんだ、病人なんだと思えば心が次第に病んでいくってこともあるでしょう。「病は気から」・・・なるほどなと思います。

少し自分の言動を振り返ってみてると、たくさんのマイナスの言葉を使ってることに気づきました。「めんどくさい」「だるい」「つまんねぇ~」「うざい」「面白くない」・・・数え上げると結構な量になります(笑)

どんなに容姿端麗、頭脳明晰、仕事ができて、話上手で素敵な人でも、その人から「あ~めんどくさい」なんてを聞いてしまうと、残念・・・もったいないな~と思ってしまう。マイナスの言葉ばかりを使う人には自然と距離を置いてしまう。

逆に、プラスの力を持つ言葉を多く発している人には魅力を感じる。

「ありがとう」「頑張ろう」「楽しいね」「きれいだね」「素晴らしい」・・・プラスの言葉を使う人には自然と人が集まっていくのだと思う。

言葉には力があるということを気づかせてくれた潰瘍性大腸炎。君にはとっても感謝しているよ。でも、できるだけ大人しくしていてね(笑)

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カーテンを開くと薄らと雪が積もっていた。

今年もいよいよ冬の到来だ。

長いこと雪国に住んでいるが、毎年初雪を目にすると素直に「綺麗だな」と思える。

これが1月2月にもなると、「あぁ、除雪が大変だ」「寒いよー冷たいよー」などと若干のうっとおしさを感じてしまうのである。

そして、3月4月にもなれば、「まだ雪降るのかよ~」「せっかく夏タイヤに履き替えたのに~」などと時には怒りすら覚えることもある(笑)

自然の摂理に傲慢にも反抗しようとしている自分・・・

あぁ、人間って身勝手な生き物だなぁ~と少し反省したりもするのだが・・・。

日々生活していく中で、物事の受け止め方、考え方に少しだけ修正を加えてあげるだけで嫌なことや辛いこと悲しいことが幸福に変わっていくことに最近気づけたような気がする。

そんな気づきを忘れぬようこのブログに書き留めていこうと思う。

来春、季節はずれの雪を目にしたとき私は何を想うのだろうか・・・。

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